唐古・鍵遺跡周辺探訪

先日、応援大使交流会&飛鳥学冠位叙任試験のお手伝いで飛鳥に行ったとき、その前日に、以前からとっても気になっていた

唐古・鍵遺跡

に行ってみました。
7月に奈良まほろば館で行われた桜井市・三宅町・天理市・田原本町合同の講演会に参加してからずっと、行ってみたい!と思っていたのです。

京都から、おなじみの近鉄特急に飛び乗り、大和八木まで。
そこからちょっと引き返して田原本で下車します。

駅前の案内所で電動自転車をゲット。
親切に道案内をして下さったうえに、無料で荷物まで預かっていただきました。ありがとうございました♪

案内所のおじさまに教えられた道を、まずは

多神社(おおじんじゃ)

へ向かいます。
少々距離はあったけど、電動チャリならスイスイ。
と調子に乗っていたら、例によって道を間違える。(方向音痴!)
グーグルマップの助けを借りて、無事到着。

この神社は祭神を神武天皇・神八井耳命・神淳名川耳命(綏靖天皇)・姫御神の四柱とし、このうち神八井耳命は、古代にこの付近を本拠としたとされる多氏の祖です。
『古事記』の編纂で知られる太安万侶(おおのやすまろ)もこの一族とされており、ここは学問の神としての信奉も集めているそうです。

多氏といえば、百済が滅亡したのち、その復興にあたるため帰国する百済王子・豊璋の妻となったのが「多臣蔣敷(おおのおみこもしき)の妹」です。
白村江の敗戦ののち、豊璋は高句麗に逃れたとされていますが、その妻がどうなったのか、記録には残っていません。
多臣蔣敷は、一説には太安万侶の祖父だといわれます。そうなると、安麻呂にとっては「大おば」にあたる女性が豊璋の妻になったことになります。彼女はどのような生涯をたどったのでしょう。何も史料が残っていないだけに、興味をひかれるものがあります。

しばし感傷にひたったあとは、再びチャリを飛ばして

鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)

へ。グーグルマップに従って自転車をこいだら、裏口に案内される。やめて。
で、正面玄関(っていうのか)まで戻る。


これが「正面玄関」!

この神社は、名前の通り鏡鋳造の神が祀られております。
古代から江戸時代にかけては鏡作師がこの地一帯に住み、境内の池(鏡池)で禊をして鏡を作っていたとか。

昔読んだ本(「知られざる古代~謎の北緯34度線を行く~」)によれば、
 多神社は三輪山の真西→春分・秋分の太陽は三輪山から昇る
 鏡作神社から見ると冬至の太陽は三輪山から昇る
 畝傍山から見ると夏至の太陽は三輪山から昇る
ということで、そのあたりに何か古代人の暗号がっ? という、好きな人は大変盛り上がりそうなお話が。
ま、本当かどうかは知らない。
稲作の発達に伴って、目印になりそうな山(三輪山)を決めて、太陽の動きを測っていた可能性も。そしてそれがのちの三輪山信仰につながっていった可能性も否定できないけれど。ま、「諸説あります」ですな。

 

鏡作神社からふたたびチャリを走らせ、唐古・鍵遺跡史跡公園へ。

これですよ、これ。
こんなものが復元されてるんですね。
思ったより大きかった。
というか、公園自体がものすごく広くて、歩き回ってもうヘトヘト。


土器に描かれた絵をもとに復元したらしい。

なかなか特徴的な建物でございます。

この唐古・鍵遺跡は、弥生時代に栄えたとされ、最も繁栄したのは弥生時代中期(2300~2000年前)だとされています。
微高地だったこの場所には、当時、大型建物が建てられ、周囲を環濠が取り巻いていたそうです。そうした大規模な土木工事が行われたということは、たくさんの人口と、それを統率する強力なリーダーの存在をうかがわせます。
そののち(約2000年前)、この地は洪水に襲われ、集落は壊滅状態になったそうです。その後環濠を掘り直し、再スタートが切られますが、以前のような繁栄を取り戻すことはついにありませんでした。

この場所が栄えたのは、卑弥呼が暮らしたともいわれる纒向が栄える前です。この地で暮らした人々が纒向に新天地を求めたのか、この地に代わって纒向が新たな覇者となったのか、そのあたりのことはよくわかっていません。
ただ、纒向が繁栄するもっと前に、ここにはさまざまな地域から物が運びこまれ、また運ばれていった、一大物流センターがあったことは間違いないようです。


唐古・鍵の夕暮れ。

その後、この場所はゆるやかに衰退し、古墳時代の半ばから後期にかけては、馬を飼育する「牧」として利用されていた可能性が高いとされています。

 

……と、遠い昔の栄枯盛衰に思いを馳せたあとは、再びチャリをとばして

唐古・鍵考古学ミュージアム

へ。
すでに4時を回っていたうえに(入館は4時半まで)、5時までに田原本駅前の案内所にチャリを返却しなければならないことを伝えると、ボランティアガイドさんから
「了解しました。時間内で説明しましょう」
とのありがたすぎるお言葉をいただく。

それからはもうわかりやすくテキパキとした説明を繰り広げてくださり、糸魚川あたりからもたらされたと思われるヒスイや、切れ味よさそうな石剣(鞘つき)、こまかい文様の施された土器などを堪能。この地がいかに栄えていたかを実感できました。
説明が終わったのが4時45分。
「15分あれば十分間に合います、安全運転で帰ってください」
との、これまたありがたいお言葉で送り出されました。
ううむ。すばらしい。

田原本駅に無事戻り、チャリを返却(ちょっとおまけしてもらった。エヘヘ)、荷物を転がして改札を通ったらタイミングよく橿原神宮前駅行きが到着。

あ~、楽しかった。


今度は三宅町や天理市にも行ってみようっと。

 

説明して下さったボランティアガイドさんに、まほろば館での柴田先生の講演を聴いて来たことを伝えたら、

ああ、柴田ですね?

と、シバタ、呼び捨て!
ボランティアガイドさん、もしかして偉い人だったのかも。
結構あるからな~、そういうこと。
気を付けようっと。(^-^;

古代史
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梅前佐紀子の古代史日記

コメント

  1. 風人 より:

    多まで行ってたんですね! 一駅半くらいありますね。多神社の東に、太子道の痕跡と言われる道路があるのですが、気づきました? 現在では、それが最も南で見られる方位が同じ道路になります。次に機会があれば、太子道をサイクリングしてみるのも面白いかも。

    • 梅前 佐紀子 より:

      太子道、気がつきませんでした!残念。もうたどりつくだけで必死でした。太子道の痕跡は残っているところと残っていないところがあると聞きますが、自転車でたどってみるのも面白いかもしれないですね。ただし、迷子にならないように気をつけないと(笑)

  2. 弓張月 より:

    昨日は即位礼正殿の儀でしたが、即位に係る行事は、10/22~10/31までのようですね。社寺等の方位東西線や夏至・冬至の日の出方位に合ってることを指摘されることはよくありまいね。さて、今回の行事は、月読み・日読みしているのか?
    暦の上では十月は神無月で、出雲では神在月ですね。10/22~10/31を十二支とリンクさせると、10/22は子(ね)・で、10/31は酉・不動明王ですね。12月の暦では、12/22は冬至で、12/25はクリスマス・卯年の東,6時です。偶然にも不思議なことに、大取(とり=酉)ですね。また、観音(かんのん)の音=ね=子です。ゴルゴ松本さんの命の教育で、「命」は、人の一叩きでした。観音菩薩を縄文のビーナスで考えると妊婦となりますか。また、命の「人の一叩き」は、心音=子(ね)となりますか。戌年と亥年は、一月となり戌亥(いぬい)。皇居の乾門は橋無しの一般人の通用門ですね。不思議な連想ゲームでした。

    • 梅前 佐紀子 より:

      さまざまな想像をめぐらすことができるのが古代史の楽しみです。
      今回も大変興味深い内容でした。(勉強不足でなかなかきちんと理解できないのが辛いところですが)
      またよろしくお願いいたします。