「地名」は貴重な遺産

 あなたは今、何という名前の町に住んでいますか?
 古い町でしょうか。それとも新しい町?
 あなたは、今あなたが住んでいる町の名前の由来を知っていますか?

 地名は「言葉の化石」と言われます。
 その土地に暮らす人々の顔ぶれは50年もたてばほとんど変わってしまいますが、世代交代は一気にではなく徐々に進むので、使う地名は変わらず伝えられていくのです。
 長い年月の間に、字が変わることはありますが地名の持つ「音(おん)」だけは遠い昔から変化していないことが多いのです。

 歴史小説を書いていると、土地の名前は、日本書紀や古事記などの文献資料や各地で発掘される考古学上の資料などに勝るとも劣らない威力を発揮します。

 たとえば、飛鳥の東には

「安部」「倉橋」「山田」

などという地名があるのですが、この地名が残っていることによって、孝徳朝の左大臣・安倍倉梯麻呂と右大臣・蘇我倉山田石川麻呂がご近所同士だったことがわかるのです。
(ご近所だったからといって仲良しだったとは限りませんが)

 余談ですが、近頃、古代史研究では

「本拠地が近かったから協力関係にあった」

とする理論がもてはやされています。
 けれど私は、その説には少々懐疑的です。本拠地を確定する資料を提示していないということもあるのですが、昨今の国際情勢などを見ても明らかな通り、近いからといって仲がいいというわけでは
ないと思うからです。
 もちろん、その説の通り、本拠地が近いから協力関係にあったケースもあるとは思いますが。

 話がそれました。地名の話でしたね。

「府中」という地名は日本各地にありますが、それは、古代、「国府」が置かれたことに由来しています。
 国府とともに置かれたのが「国分寺」。
 府中と国分寺が近いのはそういうわけです。

 また「埼玉」というのも、とても古い地名です。
 万葉集にも「前玉」「佐吉多万」=さきたま として登場します。
 行田市にある稲荷山古墳からは、「ワカタケル大王」の銘文のある鉄剣が出土しました。ワカタケル大王といえば、中国の歴史書に残る「倭の五王」の一人、「武」とされる人物です。
「さきたま」のあたりは、その当時から畿内の王権に忠誠を誓う豪族が支配していたということなのでしょう。
 東京が草ぼうぼうの荒野だった頃、埼玉はそうした豪族の勢力下で繁栄していたと思われます。

 奈良県あたりの地図をながめていると、あちこちに見覚えのある名前が出てきて、時のたつのも忘れてしまいます。
 孝徳天皇の一人息子、有間皇子が謀反を起こそうとした際、蘇我赤兄に裏切られ、捕縛されたという「市経(いちぶ)」の家があった場所も生駒郡「壱分」という地名で残っています。
 建物や遺跡は、破壊されてしまえば跡形もなくなってしまいますが、地名は古代から変わらず伝えられています。
 その土地に暮らす人々は、いわば「歴史的建造物の中で暮らしている」ようなものです。
 古い歴史や人々の生きざまを内包し伝え続けられた「土地の名前」。
 そこで暮らしていることは、誇るべきことだと思うのです。


 ところが、昭和の終わりから平成にかけて、憂慮すべき事態が起こっています。
 市町村の合併や、行政区分の変更による「地名の変更」です。

 たとえば、東京に「箪笥町(たんすまち)」という地名があります。その地名は、武器のことを「箪笥物」と総称していた江戸時代、幕府の武器を司る「箪笥奉行」が置かれていたことに由来しています。
 箪笥奉行は、下谷、麻布、四谷、牛込の4か所に置かれていたそうですが、今現在「箪笥町」の地名が残っているのは牛込だけです。他の3か所は、行政区分の変更により、すべて地図から消えてしまいました。
 そこに箪笥奉行が置かれていたという事実は、そうやって次第に忘れ去られていくのでしょう。

 また、先年、「田無市」と「保谷市」が合併し「西東京市」が誕生しましたが、そのネーミングセンスにはあきれかえるばかりです。
「東京」の「西」にあるから「西東京市」。
 東京にすり寄るようなその名前に、田無の人も保谷の人も内心は忸怩たる思いでいるに違いありません。田無も保谷も歴史ある地名なのですから。
 利便性や収益だけを追い求め、歴史ある地名を消し去ってもいいのでしょうか。

古くから伝えられてきた地名をそうやって変えてしまうことは、ブルドーザーで遺跡を破壊することに等しい暴挙だと私は思います。
 のちの世の人々はきっと、今のこの時代をバカなことをした時代とそしるでしょう。

 歴史的な問題をさしおいても、土地の名前を安易に変えてしまうことは非常に危険なことでもあります。

 地名に「浦」「津」「川」などの字が入っている地名は、それが内陸であっても津波が流れ込む危険のある場所だといいます。

 東日本大震災の津波で大きな被害にあった宮城県東松島には、「浮足(ういたり)」という地名があって、その語源となった「ウタリ」は、「足が浮くような水気を含んだ低い土地」という意味だそうです。
 つまり、津波に襲われる可能性が高いと地名が警告していたわけです。
 さらにその浮足のとなりには

「白萩(しろはぎ)」

という地名があって、一見、津波とは関係ないように見える
その地名には、

「シロ」は「まっさらになる」
「ハギ」は「表土がはがされる」

 つまり、津波で地面がはがされて何もなくなってしまう、という
意味が隠されていたのです。
 地名の警告のとおり、浮足も白萩も津波で甚大な被害を受けたそうです。
 そうした「危険を示す地名」を消すことは、その土地で被害にあった人々の無念の思いを消し去ってしまうことにもなるのです。

 その土地に生きた人の「思い」。
 それを後世に伝えていくことが今を生きる人間のつとめではないでしょうか。

(2013年11月6日)

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