万葉集の最後の歌は

 

「令和」効果で、近頃、万葉集がかまびすしい。

ま、これをきっかけに、古典に目を向ける人が増えてくれれば嬉しい限り。

 

で、今回のお題は

万葉集の「最後の歌」って知ってますか?

ってなお話でゴザイマス。

 

万葉集に興味のある人、ちょっと詳しい人なら、「最初の歌」は結構知ってる。

最初に登場するのは、雄略天皇の歌ですな。

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ 
み掘串持ち この岡に 菜摘(なつ)ます子 家告(の)らせ
名告(の)らせね そらみつ 大和の国は おしなべて
我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居れ 我こそは
告(の)らめ 家をも名をも 

以下は現代語訳。

おお、籠よ、立派な籠を持って、おお、掘串(草を掘るへらのような道具)よ、立派な掘串を持って、この岡で菜を摘んでいる娘さん、あなたの家をおっしゃい。名前をおっしゃい。
霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこのわたしが平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。
けれどもわたしの方から先に打ち明けようか。家も名も。
まあ、なんつーかつまり、王によるナンパの歌ですな。
お嬢さん、この私、誰だか知ってる?
この国、ぜーんぶ治めてんの。だから名前教えてよう。
ってな、ま、明るいっちゃー明るい、おおらかな歌でございます。
 
 
最初の歌がなぜに雄略? って疑問はある。
 
だって、雄略が生きたのは5世紀のこととされていて、『日本書紀』の編年を信用するなら、479年に崩じています。
雄略の次の歌は舒明天皇の歌なのですが、舒明天皇は6世紀末に生まれて641年に崩じているので、二人の生きた時代には150年近いタイムラグがある。
 
舒明天皇のあとはだいたい時代順に歌が並んでいるので、要するに雄略天皇だけ
 
ダントツに古い
 
ってことなんですね。
 
なぜかというと、まあ、諸説ありましょうが、雄略天皇という人は「偉大な大王」というシンボル的な存在だったのではないかと考えられます。
なんてったって
 
倭王・武
 
だしね。
(異説もあります。はるひーは、確定はできない、と言ってます)
 
『日本書紀』も、雄略~用明・崇峻紀が間違いのない正規の漢文で書かれていて、雄略紀から書き起こしたという説もあるほど。
 
 
ま、そういう「伝説の偉大な大王」である雄略天皇の歌から始まる万葉集。
 
「最後の歌」が何なのか、ご存知の方は存外少ないのではないでしょうか。
 
 
巻二十、4516に及ぶ歌のラストを飾るのは
 
大伴家持
 
なんですね。さすが万葉集編者とされているだけのことはある。
最後は私の歌で締めましょう!
ってな感じだったんでしょうかね。
 
最後の歌はこんな感じ。
 
新しき年の初めの初春(はつはる)の
今日降る雪の いやしけ吉事(よごと) 
新しき年の初めの初春、今日この日に降る雪のように、積りに積もれ、佳(よ)き事よ。

 

ね。

いい歌じゃないですか?

「あたらしき 年のはじめの はつはるの」

と、たたみかけるようなこのリズムの良さ。
天から舞い落ちてくる雪が見えるようです。
そして、それを希望を持って見上げている家持の顔も。

 

新しい世に、この歌を捧げたいと思う。

家持もそう思っているはず。

 

たくさんの吉事(よごと)が、新しき御代にありますように……。

 

 

 

 

 

古代史
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梅前佐紀子の古代史日記

コメント

  1. れんし より:

    万葉集は詳しくないけど、この歌が好きで、一時期年賀状に使っていました。
    左遷先で一族の不遇を憂いながら詠んだ歌だから縁起が悪いという人もいましたが、わが家も没落地主の末裔だし…。
    それに家持は、その後復活をとげて、遅咲きながら従三位、中納言にまでなりましたし、死後に不幸があっても、結局恩赦にあずかっています。
    波乱万丈、しかも現代の小学生でも知っている事績を残し、やはり人の人生としてはあやかりたいところです。

    • 梅前 佐紀子 より:

      家持くんはなかなかよろしいですよね。
      人間味があります。
      波乱万丈……、それもまた人生ですね。