講演会「春画を旅する」~恋をめぐる江戸文化

友人に連れられて、「春画を旅する」というタイトルの講演会に行ってきました。

講演者の山本ゆかりさんは、友人の幼なじみ。
浮世絵、特に春画の研究では今日本で最も熱い、新進気鋭の研究者です。

世界が認めた「春画」

大英博物館で特別展

2013年から2014年にかけて、イギリス・ロンドンの大英博物館で春画展が行われ、大きな話題を呼んだそうです。

それをそのまま日本でも開催しようとしたらしいのですが、どこの博物館も美術館も開催に二の足。
どうやら「18歳未満禁止」が、博物館・美術館が有していなければならない「公共性」に抵触したようです。

細川元首相の鶴の一声

日本で初めてとなる「春画展」を開催したのは細川家に伝わる歴史資料や美術品を保存・公開している「永青文庫」。
細川護熙・元首相の「鶴の一声」で開催が決定したとのこと。

2015年9月から12月まで開催されたそうです。

春画のルーツ

中国には古い例が山ほど

「春画」という言葉自体、中国の「春宮」(しゅんきゅう=皇太子のこと)からきているとのこと。
その名の通り、もとは高貴な人が描かせ楽しむ「高貴なもの」だったようです。

宋代の洪邁という人があらわした『俗考』という書には、
・前漢(紀元前202~紀元後8)の廣川王(こうせんおう)の時代、室内に男女の図を描かせ皆に仰ぎ見させた
・南斉(479~502)の鬱林王(うつりんおう)が、壁に男女の図を描かせた
という記録があると記されているそうです。

素女(そじょ)

中国には古くから「素女経」(そじょきょう)と呼ばれる房中書(性交渉の方法を教える書物)があり、その挿絵が春画のルーツと考えられているとのこと。

「素女経」は、素女という名の仙女が、黄帝(こうてい)という王の質問に答えるという形をとっているらしい。

後漢の科学者・張衡(78~139)の詩にも「素女経」が登場しているとのこと。

「塼」(せん)も!

「塼」といえば、板状の粘土に絵を描き、それを焼いたもので、「塼仏」(仏の姿が描かれている塼)は両槻会でもたびたび登場するけれど(私は詳しくないです。勉強不足)、男女交歓が描かれた漢代の塼が出土しているとのこと。
いや~、仏だけじゃなかったんですね。奥深いぞ、塼!

日本では

文献資料ではっきりと春画の存在を確認できるのは、10世紀後半(平安時代中期)に成立した『能宣集』(大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ・921~991)自撰の歌集)の中にある

「男女けしからぬことどもかかれたるところ」

という詞書、つまり「男女のけしからぬことを描いたもの」を前に詠んだ和歌、という言葉らしい。

そういう絵を前に平安貴族が歌を詠んだ、ということらしいんだけど、ということはつまり、それより前にそういった種類の絵が流通(というのか)していた、ということ。

私の考えでは、遣唐使が中国からどっさり持ち込んできたんじゃないかと。

日本から来た遣唐使が書物を買い占めて都の書物が品薄になった、という話も残ってるくらいなので、その中にはそういう種類の本もあって不思議じゃない。というか、絶対にあったと思う。もしかして学術書(というのか)よりそっちを先に買い占めてたり? いやいや、ありうる。

「小柴垣草紙」

寛和2年(986)、伊勢斎宮に下向するため野々宮で潔斎に入っていた済子女王(なりこじょおう)が、警護の武士・平致光(たいらのむねみつ)と密通事件を起こします。

結果、済子女王は斎宮を解かれ、伊勢に向かうことはなかったのですが、その事件を題材とした草紙が13世紀末から14世紀にかけて盛んに流布されたそうです。

題して「小柴垣草紙」。
今でいうスキャンダル紙といったところでしょうか。
かなりエロティックな内容に仕立て上げられていたらしく、江戸時代まで書き継がれたそうです。

浮世絵は春画から始まった

浮世絵成立以前

木版を使って大量に印刷する「浮世絵」の技法が確立する以前は、春画は手描きでした。

もちろん大量生産はできず、春画は一握りの高貴な人々だけのものでした。

そんな中、木版で摺られた春画本(春本(しゅんぽん)・艶本(つやほん))が登場します。
それが1660年くらい。もちろん、黒一色摺りでした。

その後、本をバラして、一枚の紙に摺った「一枚摺」の木版春画が登場します。
その一枚摺春画が、木版から一枚一枚摺り出した「浮世絵」へと発展していったと考えらえるそうです。

つまり、「浮世絵のはじまりは春画」だったのです。

紅摺絵(べにずりえ)

一枚摺りとなってのち、色付きの春画が登場しますが、それらは手作業で色を塗っていました。

やがて、1740年代に入ると、色別に版木を作り分ける技術が開発され、一色から二色の「色摺り版画」が作られるようになります。

それを「紅摺絵」と呼ぶそうです。

錦絵(にしきえ)

1765年になると、たくさんの色で彩色された版画、「錦絵」が登場します。

多いときには10色以上の色を摺り重ねることも。

これらの「紅摺絵」「錦絵」の登場は、現代でいえば「カラーテレビ」の登場に等しかったと山本先生はおっしゃっていました。なるほど。

「まめえもん」の世界

小さくなって旅をする

春画にはさまざまな工夫がこらされましたが、人気だった「シリーズ」もいくつかあるようです。

そのひとつが「まめえもん(豆右衛門)」あるいは「まねえもん(真似衛門)」といわれるシリーズ。

これは、男が小さくなって男女の交合をのぞき見る、という趣向で、あられもない姿態をくりひろげる男女の姿のかたすみに、小さい男(まめえもん)が描かれている、という、なんともユーモラスなものです。

それが日本のあちこちを旅するというのだから面白い。

なんともおおらか、そして楽しい、「淫靡」とは正反対の世界です。

「マンガ」の原点?

そういったおおらかで楽しい描写は、現代のギャグマンガや四コマ漫画と通じるものがあるように思えます。

そうした精神風土が、日本が世界に誇る「マンガ」を生み出す土壌になったとはいえないでしょうか。

現代の私たちがギャグマンガを読んで笑い転げるように、江戸時代の人たちも「まめえもん」を見て大笑いしていたのかもしれません。

四季の色どり

12枚一組

春画は12枚が一組ということが多かったようです。

これは、古代中国の皇帝が12人の女を娶り、それぞれの女に12か月を象徴させたことに由来するとされているそうです。

江戸時代の春画では、一年12か月を1セットとし、それぞれの月と季節を題材とした春画が描かれることが多かったようです。カレンダーみたいなもんですかね?

それぞれの季節

1月は正月と初夢、2月は梅や初午稲荷詣、3月はひな祭り……と、12か月それぞれに決まった行事や象徴的な物があり、それをさりげなく描き込んで、これはこの月、とすることが多かったようです。

それはよくよく見なければわからない場所に描いてあったりして(窓の外に雨=五月雨=5月とか)、それが何月の絵なのか、注意深く見ないとわからないものもありました。また、ある程度の教養をも要求されるものでもあったようです。見る人が見ないとわからない、「謎解き」のような側面もあったのかもしれませんね。

美しい描写

春画というとやはり衝撃的な部分にばかり目が行ってしまいますが、ほかの部分をよく見ると、非常に手の込んだ、美しい描写が多くあります。

生え際の一本一本にいたるまで緻密に描き込まれた髪。

透け感までも描き出している着物の柄。

正確な技術で描かれた、躍動感あふれる体の線。

それらを描いた人はもちろんですが、版画を彫る人、色を乗せ摺る人、すべての人に大変な技術が求められる、本物の芸術品です。

春画の「力」

魔を払う力

春画は、高貴な人々の嫁入り道具としても使われました。

もちろん、嫁ぐ前の「予備知識」という面もあったでしょう。
けれどもそれを持たせることによって、嫁ぎゆく娘の幸せを願うという一面もあったようなのです。

春画は持っていると戦に負けないと信じられ、「勝絵(かちえ)」とも呼ばれて鎧匱に入れておくという風習もあったそうです。

また、火災除けになるとも信じられていました。
宋代の「路史」には、火災の中で一軒だけ残った蔵の中から春画が出てきたという話が記されているそうです。

さらには、虫よけにもなると信じられていたそうで、「籠底書(ろうていしょ=衣装箱の底に敷く書)」とも呼ばれていたとか。

つまり、春画には「悪いものから守ってくれる」パワーがあると信じられていたのですね。

すばらしい「美術品」

春画は古い歴史を持ち、浮世絵の原点ともなった、すばらしい美術品です。

ついつい一部分だけに目が行ってしまいがちですが、もっともっとその価値を知ってもらいたい、評価してほしい、というのが講師・山本ゆかりさんの言葉でした。

移り行く四季とともに、時にユーモラスに、時に教養深く、おおらかに春画を楽しんでいた江戸時代というのは、とてもいい時代だったのだなぁ、と思うと同時に、そこから地続きとなっているはずの現代日本にも、そういった精神が実は脈々と受け継がれているのではないか、そんな気にもさせられた講演会でした。

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