追悼・梅原猛先生

梅原猛氏が亡くなった。

子どもの頃「隠された十字架」を読んで、「聖徳太子は怨霊で、法隆寺はそれを封じ込めるために建てられた」というその大胆な発想に、心底びっくりした。
その驚きが、私を古代史の世界にさらに深くいざなったと言っても過言ではない。

だから、梅原氏の訃報はショックだった。

おそれおおいことではあるけれど、いつかはお目にかかりたいと願っていたのだ。


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読み返しすぎてボロボロになった文庫本。


さまざまな勉強を重ねた今読み返すと、正直、「ありゃりゃ」なところもあるけれど、学閥や縁故にとらわれない梅原氏の大胆な主張は、学閥をあげての法隆寺再建・非再建論争などで凝り固まっていた昭和の古代史界に、清新な風を送り込んだと思う。

何よりその熱気。

梅原氏の古代史にかける情熱、謎を解こうという熱意が、行間からひしひしと伝わってくるようだった。

自分の考えを、非難や批判を恐れることなく世界に向かって開陳せよ、ということを、梅原氏から教わったように思う。


恐れることなく。

ためらうことなく。

まずは世に問え。


その勇気を、読者の一人として、私は確かに受け取った。

ささやかではあるけれど、それを受け継いだ者として、歩んでいきたいと思っている。



たとえば、山岸涼子の「日出る処の天子」。

あの作品が「隠された十字架」をベースにしていることは、まず間違いないところだろう。

古代史が好きという人と話をしていると、「日出る処の天子」を読んで古代史に興味を持った、という人が驚くほど多い。
私はそれ以前から古代史好きではあったけれど、好きが高じて書いた小説の一場面、物部と蘇我の戦い(丁未の変)での厩戸皇子の描写は、「日出る処の天子」にインスパイアされ書き上げた。

その意味では、山岸涼子が梅原氏の「子」であるとするなら、私はさしずめ「孫」といったところだろうか。


梅原氏の血脈を細々と受け継ぐ「孫」として、これからも、恐れず、たゆまず、進んでいきたいと思う。



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本棚に、意外なほどにたくさんの梅原氏の著作があってびっくり。

これはほんの一部。
まだまだあった。
「海人と天皇」なんて、文庫とハードカバーと両方あった。

時間を見つけて読み返し、梅原氏の熱気に再び触れてみようと思っている。


梅原猛先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。

(2019年1月17日)

 

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