定例会下見報告

でね、前回の続き。

といっても、前回は9月27日に行った定例会下見、さらにその前にした散策のことを書いたので、実際に行ってからもう1か月以上たってしまっているわけなんだけれども。

記憶力の悪いうめまえにとっては、もうなんかおぼろげな記憶、遠い夢の中のような話となっておりまする。(ってダメだろ、それ。実際の定例会は来週だ!)


んで、遠い記憶をさぐる。

そうそう、その日は雨でした。
それも翌日には台風が来るっていうね。


入鹿の首塚も雨の中。

 20180927入鹿首塚


ところで、近頃はスマホでいくらでも調べられるけど、以前の私は、この入鹿の首塚に、まともにたどりつけませんでした。

だって、この地図。

 飛鳥観光マップ
(明日香村観光マップから転載。掲載許可はとっていませんがあちこちで配っているものなのでよろしいかと)


 飛鳥観光マップ拡大

 これでまっすぐ首塚に行ける人がいたら尊敬するわ(怒)


ま、この「やった~! 着いた~!」感が飛鳥の醍醐味なのかもしれませんが。
宝さがし的な?(←ちょっとイヤミ入ってます)

もうちょっと工夫したほうがいいと思うぞ、この地図。


当日は「飛鳥の達人」両槻会事務局メンバーと一緒だったので、そんなうめまえでも迷うことなく入鹿首塚に到着。
「やった~!」なんて言わない。さも当然のように「首塚ですね」てな感じ。達人にまじってちょいと背伸びするうめまえ。かわゆい。(自分で言う)

それでもひそかにスマホを操作して、関東在住古代史仲間に

「入鹿首塚なう」

などと自慢げに送信する。



首塚から南下し、飛鳥京跡苑池の横を通って板蓋宮跡へ。
(途中、変な「再現建物」が建ってた。なにあれ~。世界遺産狙いかなんか知らないけど、やめてほしい)


で、板蓋宮ね。

 20180927板蓋宮説明板


蘇我入鹿が暗殺された、まさに「事件現場」でゴザイマス。

小説で入鹿暗殺場面を描く前、ここに来て「ああ、ここで入鹿が」と思いを馳せたのが、遠い遠い昔のことのように思われます。


……などと思っていたら。

「あ、入鹿が殺されたのはそっちじゃなくてこっちね」

という事務局長の声。

はい?

「こっち」はどこかと見てみれば、隣接した田んぼの一角。

聞けば、公園として整備され、柱跡などで示されている建物跡は、天武・持統期の「飛鳥浄御原宮」のもので、飛鳥浄御原宮は皇極期の「飛鳥板蓋宮」とは微妙にずれているらしい。

要するに、板蓋宮や岡本宮(舒明期)の遺構を掘り出すためには「浄御原宮」遺構を破壊せねばならないので、遺構保護の観点から、それ以上は掘れない、ってことらしいです。

しえ~~。知らなかった。

私が 「おお、ここが飛鳥板蓋宮」 と思っていたここは

 20180927飛鳥浄御原宮

浄御原宮、それもその端っこの、井戸のあたりなんだって。

だから、入鹿が殺されたのはここじゃないんだって。

うわぁん。

ずっとここだと思ってたよう。


「板蓋宮」って説明板立ってるし。



何度も言うけど、入鹿殺害現場はここじゃない。


こっち。

この田んぼの下。

 20180927現場



うおお。ためになるなぁ。
それを知るだけでも、両槻会定例会に参加する意味があると思うぞ。

17日に行われる定例会では、その「殺害現場」で小芝居を行います。

前にもお伝えしたように、シナリオは私が書きました。

なりゆきによっては私自身が演技に参加することも。

うふふ。うめまえもついに女優デビューか?




でね、現場から南に行ったところにある、この「なんの変哲もないただの駐車場」なんですが

  20180927エビノコ廊

浄御原宮のエビノコ郭のあった場所

らしいです。

天武天皇の時代になってから、天皇の私的な空間と公的な空間がはっきりと区別されるようになり、公的な儀式や儀礼は主に「エビノコ郭」で行われるようになりました。
それが藤原宮、平城宮と変遷し、大極殿になっていくわけですが、その原型である飛鳥浄御原宮エビノコ郭は、この駐車場とほぼ同じ区画にあったとか。

そ、そんな貴重な場所が、説明板も何もなく(あったかもしれないけど見つけられなかった)、ただ「知ってる人だけが知っている」てな感じでたたずむ飛鳥。

う~ん、奥が深すぎるよ、ってか、なんかもったいないよ。


見上げれば、山にかかる優雅な雲。

20180927雲の向こうの山々


下見はまだ始まったばかり。

これから石舞台の脇を通り、稲渕をめざします。

(2018年11月6日)

 

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