日本橋にて甘樫丘を想いつること

お江戸 日本橋 三越本店。

  20180924まほろば館講演1


その目の前に鎮座ましまする 奈良まほろば館。

  20180924まほろば館講演2

 奈良県のアンテナショップでゴザイマス。

こちらでは、奈良県の特産品、お土産などのグッズ販売に加え、2階のイベントスペースでは講演会なども行われております。

なかなか面白い講座もあるので、興味のある方は こちら からチェックしてみてくださいませ。



さて、昨日の講演会は……

「小山田遺跡と甘樫丘遺跡群」


講師はおなじみ 相原嘉之先生。



これは行かないわけにはいかないでしょう!
と、ワタクシも行ってまいりました!

  20180924まほろば館講演3

 大盛況! 満席!

 かぶりつき(最前列)に陣取った梅前。
 お隣のお姉さんが熱心にメモを取っていたので
 私も負けじとペンを握る。φ(´ω`*)メモメモ


お話は

「おやまだ古墳」じゃありませんよ、「こやまだ古墳」ですよ、

ってなところから始まって、
小山田古墳の発掘状況、それからわかること、
さらに周辺の遺跡まで細かく紹介してくださいました。

中でも、

「甘樫丘」は現在言われている甘樫丘よりも、もっと広い範囲をさしていたのではないか

というお話は、大変興味深く拝聴しました。

確かに、今は「公園」と「住宅地」にはっきりとわかれてしまっているけれど、古代はそんな区分はなかったわけで。
丘陵地という目でみれば、甘樫丘とそれに続く高台は、一体のものとみなされていたはず。

そこに「蘇我系」の人々の墳墓が造られた、というお話は、なるほどとうなずけるものでした。


今は住宅地になってしまっている「甘樫丘」北部に古墳や遺跡がないのは、

早くから宅地化が進んでいたから

だそうです。
発掘調査がされないうちに開発されてしまったんですね。
あのあたりに古墳がないの、ちょっと不思議だったんですが。
そういうわけでしたか。
まあ、藤原京の造営などで、古くから「破壊」があったのかもしれません。


あと、小山田古墳の跡地が奈良時代には役所として利用されていたらしいとか(木簡が出土したり進入路がつけられていたり)、

天皇陵(舒明の初葬墓)だったら、(いくら改葬したといっても)そんな雑な扱いしないやろ!

ってなお話も。


でも最後には、小山田古墳を蝦夷の「大陵」と決めつけてしまうには、こういった反対材料もある、ということをいくつか示して下さって、なかなか「公明正大」なお話だったのでした。


あと、「ここだけの話」がいろいろあったのも楽しかった。
そういうの、講演会の醍醐味ですよね。
いや、ここでは書かない。それが聴講した者の仁義。



そんなこんなであっという間の90分。
参加者の皆さんも満足そうに帰っていかれました。


帰りがけ、またまたしつこいオバハンぶりを発揮して先生に突撃。
笑顔で対応していただきました。感謝感激です。




帰りは日本橋から。

  20180924まほろば館講演4

 撤去が検討されているという噂の、日本橋上空を横切る首都高速。
 (私は見慣れちゃってるからこのままでいいかも、なんて思うけど)


  20180924まほろば館講演5

  ご存知、日本橋に立つ「有翼の麒麟」。
  いやいや、いつ見てもかっちょいいです。


  20180924まほろば館講演6

  遠回りして東京駅を通って帰る。



  さてさて、今週末は飛鳥に行きます!

 応援大使交流会と、その前に両槻会定例会の下見。
 楽しみだぁ。


あ、それから、今週金曜日発行のメールマガジン「飛鳥遊訪マガジン」で、乙巳の変について書きます。
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(2018年9月25日)

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