ヴァレンヌ逃亡

「怖い絵」でおなじみ中野京子さんの

「ヴァレンヌ逃亡」(文春文庫)

という本を読んだ。

副題に

「マリー・アントワネット 運命の24時間」

とあることからもわかるように、この本は

フランス革命のさなか、チュイルリー宮に幽閉されていたルイ16世一家が、アントワネットの愛人・フェルゼンの手引きにより海外逃亡を企て、国境間近のヴァレンヌで拘束されるまでを描いた本だ。

この事件はフランス革命において大きなターニングポイントととなり、もしもこの事件がなかったら、フランスはイギリスのような立憲君主制に穏やかに移行した可能性もあったかもしれず、ルイやアントワネットが断頭台にのぼることもなかったかもしれないと言われている。
そうなっていたら私たちが現在見ているヨーロッパの地図も、大きく変わっていたかもしれないのだ。


なにごとにも知識薄い私であるが、この事件のことは知っていた。

ヴァレンヌで捕らえられ、人々の罵声の中パリまで連行されたアントワネットの髪が一日にして総白髪になっていたという逸話など、それが真実かどうかは別にして、あまりにも有名である。


いや、それ以前に、私の世代は、池田理代子先生描くところの「ベルサイユのばら」により、この周辺の知識だけは異様に豊富なのだ。えっへん。
なんといっても週刊マーガレット連載時から読んでたからね。(トシがばれるっ!)
みんなでマーガレットをむさぼり読んで、「次はこうなる」と展開を予想するのが楽しみだった。そのための知識を仕入れるために歴史百科事典なども読んだ。今にして思えば、小学生にしては高尚な(?)遊びである。



「ヴァレンヌ逃亡」が記す、ことのいきさつは以下の通り。

1791年6月20日、バスティーユ襲撃後ベルサイユからパリに移され幽閉状態におかれていたルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、二人の子どもとその養育係トゥルゼル侯爵夫人、王妹エリザベトとともに、国民議会の監視下にあるチュイルリー宮から、ロシア貴族コルフ男爵夫人一行を装い脱出した。

めざすはオーストリア領ベルギーとの国境に近い要塞・モンメディ。
ルイはそこで新たな憲法を発布し国民議会を圧倒することを夢見ていたが、アントワネットはひとまずそこまで逃げのびて、亡命するよう夫を説得するつもりでいた。いずれにせよ、このままパリに留まれば、死の危険があった。

すべての手はずを整えたのは、スウェーデン貴族・フェルゼン。
監視の目をかいくぐりチュイルリー宮から抜け出す方法から、馬車の手配、ルートの選定、途中で護衛の兵と合流する地点と連絡まで、彼はほとんどすべてを一人でやってのけた。

フェルゼンはアントワネットの愛人として知られていた。
だがそれを、現代の倫理観で批判するのはあたらない。
当時、王族や貴族の結婚は政治的な意味合いでするもので、「本当の恋愛」は結婚後に配偶者とは別の人間とするものという「常識」がまかり通っていたからだ。
歴代の王も愛人を持ったし、王族もそれに倣った。女性たちとて例外ではない。
配偶者が愛を交わす相手に対して嫉妬するのは「みっともない」こととされており、それを寛容にうけとめることが貴族のたしなみでもあったのだ。

そんなわけでフェルゼンは、アントワネットのみならず王や子どもたち、ひいては「フランスの王権」を守るため、私財をなげうち(中野氏の本によれば140億円!)、王一家の逃亡を画策する。


フェルゼンが練りに練って作り上げた計画は以下の通りだ。

ロシア貴族コルフ夫人一行に身をやつした王一家は、真夜中にチュイルリー宮から抜け出し、馬車で一路国境の要塞・モンメディをめざす。
旅程の半分以上行った地点で初めて護衛の軍隊と合流することにしたのは、パリに近い地点に軍隊を待機させれば、王の逃亡が露見する確率がはねあがるからだ。とにかく護衛と合流する地点まで馬車を走りに走らせ、そこから先は変装をかなぐりすてて「王として」モンメディに入る。
それが、フェルゼンの計画だった。
彼は御者として馬車を走らせる役目を自ら引き受け、そのための下見として、280キロに及ぶモンメディまでの道を二度にわたって馬を走らせている。


ところが。


発覚の危険性が大きいとされていたチュイルリー宮からの脱出が成功し、「コルフ男爵夫人一行」が大型の馬車で街道を走り出し、ひとつめの宿駅についたとき、ルイ16世はフェルゼンにお役御免を言い渡してしまう。
ここから先、自分にしかわからないこともあるというフェルゼンの懇願も聞き入れられることはなかった。ルイは巌のように、フェルゼン離脱を言い渡したきり動かない。

まあ、ルイ擁護に立って考えてみれば、「フェルゼンをこれ以上巻き込みたくない」という気持ちだったと考えられなくもない。

けれども、ここから先のルイの行動を見ていると、フェルゼン離脱は、ルイの「俺の方が偉いんだ」といったような、子どもじみた示威行動に過ぎなかったとしか思えない。


その証拠に、フェルゼンを追い払ったあとのルイの行動のバカさ加減といったら、目を覆うばかりだ。

護衛の兵と合流する地点までは、何はなくとも馬車を急がせるだけ急がせねばならないはずなのに、途中でたびたび休憩したうえに、子どもたちの疲れをいやすためと称して、森でピクニックまでしてしまう。
(そのたびにアントワネットはイライラして「こめかみに青すじを」たてる)

さらには、「目的地に着くまでは絶対に、自らを王と明かしてはなりません」というフェルゼンの忠告があったにもかかわらず、途中の宿駅でこちらから民衆に語りかけ、王であることをばらしてしまう。
さらに、そこで招かれるままに居酒屋に入り、軽食までとってしまうのだ。


220年後に本を読んでいるこっちがイライラするくらいだから、その場にいたアントワネットの焦りはいかばかりだったろう。
私がアントワネットだったら、脱いだ靴でルイの頭をぶん殴っているところだ。

この逃亡計画自体、ルイの優柔不断によってもう3回も延期になっている。
そのたびにフェルゼンは、合流する護衛兵らの指揮官に向け、誰にも絶対に知られてはならない密書を出さねばならなかったのだ。それがどれだけ大変なことだったか、ルイはまったくわかっていない。


そんなこんなの「寄り道」で、予定の時間を大幅に過ぎてしまった。

夕暮れが近づいて、ようやくルイは焦り出す。
そこに馬車の車軸が折れたりといった不測の事態もあり、護衛兵との合流地点に着いたときには、兵はすでに引き上げたあとだった。国じゅうが殺気立っている状況の中、王室の軍隊が街道沿いとはいえ田舎の町に長時間駐留することは民衆の疑心暗鬼を生み、衝突にも発展しかねなかったからだ。
また、延期につぐ延期で、今回もまた延期だろうという思い込みが指揮官にあったことも否めない。

そこに、チュイルリー宮から王一家が逃走したことを知ったラファイエット候が、ルイとは比べようもない迅速さで追っ手を差し向けたからたまらない。
王一家はヴァレンヌで足止めされ、雑貨屋の二階に軟禁されて、そこから先は一歩も進めない状況となってしまう。


だが、ヴァレンヌでも逃走のチャンスはあった。

雑貨屋の裏の川を隔てた対岸には護衛兵が待機しており、川を渡りさえすれば彼らと合流できたのだ。女子どもが渡れる浅瀬も、手引きする人物により確認済みだった。

それでもルイは動かない。

こうなったらどうする、ああなったらどうする、と悲観的なことばかり並べたて、結局、最後の機会を逃してしまう。

希望の光が完全に断たれたあと、それまで「こめかみに青すじ立てて」王の優柔不断に苛立っていたアントワネットが、川を渡っての逃亡をすすめた人々をねぎらう場面は感動的だ。

王は私たちに危険が及ぶのを何より危惧しておられる。王が決断できなかったのは、すべて私たちへの思いからなのですよ。

この計画が失敗に終わったのは、王の責任ではない。すべて、私たちを守ろうとした結果である。

アントワネットは周囲にそう示すことにより、ルイをかばった。
この優柔不断の王、絶対に破ってはならない約束をたやすく破る愚鈍の王、すべての計画を他人にやらせ、成功しそうになったらとたんに自分のものにしようとする見栄張りの王、このままパリに戻れば処刑されるのは目に見えているのに、自らの王妃をもその道連れにすることをいとわない王、その王を、アントワネットは悪いのは自分だと言ってかばうのだ。


そのときのアントワネットの、風のない湖面のようにしんと静まりかえった心を思うと、「覚悟」というものはこういうものかと思い知らされる。

14歳で嫁ぎ、絢爛と享楽の社交界に投げ込まれ、人々の憧憬と憎悪を一身に受けた少女は、たび重なる試練の果て、ここまで自分を磨き上げた。

「人は不幸になったときはじめて、自分が何者かを知る」

アントワネットのその言葉が、胸に深く突き刺さる。



……というような「ヴァレンヌ逃亡」を、一気読み(本当にウソ偽りなく一度も休まず一気に)した。
中野京子さんの「絵」シリーズも大好きだけれど、この本も、綿密な史料と研究に裏打ちされていて素晴らしかった。
結末はわかっているのにドキドキハラハラ、手に汗握ってしまうのは、筆者の力量あってのことだろう。



先述のように「ベルばら」ファンだった私には、フランス革命あたりのことは何でも知ってるよん、と思っていたけど、今回、新発見が結構あった。

まずは、フェルゼンが意外なほどに「大物」だったということ。

スウェーデンに代々続く名門中の名門の出身、ってことは知っていたけど、死の直前には国王に次ぐナンバーツーにまでのぼりつめていた、というのは知らなかった。彼が殺されたのは、単なる市民の暴動ではなく、彼が国王の座を奪おうとしていると扇動された市民の手によるものだったそうだ。
国王に次ぐナンバーツー。へええ~。


中野京子氏にいわせれば、「フェルゼンに愛されたからこそアントワネットは歴史に名を刻んだ」そうだ。

確かにね。

頭の中身からっぽで着飾るだけが趣味のバカ女だったら、アメリカ独立戦争にも参戦して武勇を残した文武両道のフェルゼンが、他に妻もめとらずに危険をおかして逢瀬を重ね、さらには何の見返りもないはずの王一家の逃亡に私財をなげうち、自らをも危険にさらすはずがない。



ルイに離脱するよう命令され、やむなく馬車を降りたフェルゼンは、兵が用意してきた馬にまたがり、愛しい車中の人に向かって声をかける。

「では、ごきげんよう、コルフ男爵夫人!」

くうう。名場面だ。
後ろ足で立ち上がり向きを変えようとする馬にまたがるフェルゼンの、ひらりとひるがえるマントまで見えるようではないか。
どんな作家も、これ以上の場面は創出できまい。


……もしもヴァレンヌ逃亡が成功していたら、ルイはあるいは処刑をまぬがれなかったかもしれないが、アントワネットはベルギーから実家のあるオーストラリアへ亡命していたことだろう。
そうなったら、マリー・アントワネットという女性の名など、歴史に埋もれて今知る者は誰もなかったに違いない。愛人の手を借りて国外への脱出に成功した不人気な王妃がいた、くらいだろう。
フェルゼンとの長きにわたる物語も、知られぬままに終わったはずだ。

そう考えれば、「歴史に名を残した」という意味では、逃亡が失敗したことは彼女にとって幸いだったのか?
いや、伝説など必要ない、人並みの幸せがほしかった、と彼女は言うだろうか。
それとも、ルイのありえないほどの優柔不断も、フェルゼンとの別離も、すべて歴史の必然だったのだろうか。
歴史に「もし」はないけれど。

 

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