入鹿の首 続き

前回、前々回と「入鹿の首」について書いてきましたが、両槻会事務局長・風人さんから

入鹿の首塚、まだまだありまっせ

と教えていただいたので、今回はそのお話。

奈良県と三重県の県境に「高見山」という山があるそうなのですが、その三重県側の麓にある船戸という集落に、「入鹿の首塚」があるとのこと。
飛鳥寺近くの首塚と同じく、これも五輪塔だそうです。
入鹿の妻と子供がこの地に入鹿の首を葬ったという伝承が残っているとか。
近くには入鹿の妻が住んだとされる庵跡もあるそうです。

「高見山」自体にも、多武峰と高さを競ったという伝説があるらしい。
高見山には蘇我入鹿が、多武峰には中臣鎌足が肩入れし、ついに鎌足が鎌で入鹿の首を斬ってしまい、天高く舞い上がった入鹿の首が憤怒の形相で高見山山頂に落ちてきた。恐れた村人は、その首をねんごろにお祀りしたといいます。
なので、高見山に鎌を持って入ると、入鹿の祟りで大けがをするとか。
また、高見山に詣でると、その後3年は多武峰の談山神社に行かないようにと言われているらしい。

この船戸あたりには平家の落武者伝説もあるようで、それと関わって入鹿の首伝承が根付いた可能性もあります。
そういうことを考えるとなかなか興味深いですね。



入鹿の首が飛んでいったとされる場所は他にもあって、入鹿の母の家に落ちたという伝承もあるそうです。
橿原市曽我町のあたりらしいのですが、「おつた屋」という屋号の家に落ちた、っていう、時代考証は抜きにして、なんか見てきたような話ではあります。


それからそれから。

明日香村大字上字茂古森(もうこのもり)には、入鹿の首に追いかけられた鎌足が逃げてきたという伝承があります。
ここまで逃げれば「もう来ぬだろう」と言ったことから「もうこのもり」になったという。
茂古森にある気都和既神社の境内には、逃げてきた鎌足が腰かけたという石があります。
去年、両槻会定例会で訪れましたが、なかなか雰囲気のある神社でした。



ということで、出るわ出るわの「入鹿の首伝承」。

それらのすべてが、「空を飛翔した」というのも気になるところです。
後世の人々が入鹿の無念に思いを馳せた結果でしょうか。
反体制側として斬り捨てられた入鹿に、深く思いを寄せる人々が多くいたことの証といえるでしょう。


入鹿の命日(つまり乙巳の変が起こった日)に、飛鳥の首塚にお花を供える人を知っています。
大悪人とのレッテルを貼られ、斬殺された入鹿ですが、実はたくさんの人から愛され続けた人なのかもしれません。

そう考えると、ちょっと救われるような気がします。



<追記>
両槻会事務局長・風人さんから、さまざまご教示いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
また、同事務局のらいちさんからは、高見山山頂の写真をお送りいただきました。
美しい霧氷で有名だそうです。お近くの方はぜひ。

<追記その2>
風人さんにご紹介いただいた資料によれば、松阪市飯高町郷土史に、船戸の五輪塔について、入鹿の妻子の法名とともに、「入鹿の臣・熊沢権之進」との記載があります。

入鹿の臣・熊沢権之進

入鹿が突然ちょんまげ結って出てきたみたいで、ツボりました。


<さらに追記>
地名について、風人さんよりご指摘いただきました。
入鹿の首塚とされる五輪塔がある高見山麓の集落は、正しくは

三重県松阪市飯高町舟戸

だそうです。
風人さん、チェックありがとうございました!

(2017年4月3日)

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