入鹿の首塚

遠い昔、飛鳥寺の西側には、
槻の木の大樹が立つ広場があったという。

古代史にちょいと詳しい人なら知っている

中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場

ですな。

蹴鞠をしていて脱げた中大兄の沓を、
鎌足が拾い上げたことから、
二人の交誼が結ばれたっちゅー、例の場面です。

ま、そのあたりのことはテキトー極まりなく

 太陽は天高く輝いて、槻の木の若い葉を明るい緑色にきらめかせていた。

とか何とかでっち上げたわけなんだが、
実際の発掘にたずさわる先生方は
探していたらしいんだな。その槻の木を。


千何百年前の木なんて出てきますのん?

なんてのはシロート考えで、
根っこの痕跡は検出できるらしい。

で、発掘。
何次にもわたって発掘調査が行われた。

結果、飛鳥寺西方には、
石敷きの広場が広がっていたことが確認された。
検出された柱跡から、広場の端には
高い楼閣が建っていた可能性があるという。


ところが。

槻の木の痕跡は見つからなかった。

これだけ探して見つからないとすれば、
掘っていない場所にあるとしか考えられない。

だったらあそこしかないでしょ

と大先生や師匠がおっしゃるのは、

入鹿の首塚。


首塚そのものは鎌倉時代に建てられたもの。
けれども、なぜそこにそれを建て、
それを「入鹿の」首塚と呼ぶようになったかを
考えれば、それもさもありなんと思われる。

広場のシンボルとなっていた槻の木が倒れたあと
そこに何らかの痕跡を残そうとするのは
当然の心理だしね。


奇跡の一本松

のあった場所に、
それを模した構築物が立てられたように。



誰か掘ってみてくれないかなぁ~。

首塚の下を。

祟りを覚悟で。

(2017年2月21日)

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