箸墓・檜原神社探訪記

 2016年10月、両槻会定例会に参加するために、飛鳥を訪れた。

 夜行バスで京都まで行き、定例会の集合までの時間を利用して、箸墓あたりを散策しようという計画である。

 夜行バスが早めに京都駅に着いたおかげで、巻向にも予定より早く到着することができた。巻向を10時すぎに出る電車に乗れば、桜井駅10時半の両槻会定例会集合に間に合うので、それまでの時間、このあたりを散策できるというわけだ。
 嬉しい。
 東京からやってきた身としては、一分一秒が貴重だ。古代史好きを自称しながら箸墓を訪れたことがないというのは今まで内心忸怩たるものがあったが、ようやく箸墓をこの目で見ることができるのだ。浮き立つ思いで巻向駅に降り立つ。


 かつてこの国の中心として栄えたという纒向も、今はひなびた無人駅があるだけだ。駅からスマホの地図を頼りに箸墓へ向かう。

 やがて、箸墓が見えてきた。
 予想よりはるかに大きい。そして、神々しい。


  箸墓

 前夜からの雨の名残で、空には厚い雲がかかっていたが、この一瞬だけ雲が切れ、朝日が射し込んできた。

 私の他には誰もいない。
 ありがたさに、涙が出そうになる。



  箸墓2

 昨夜の雨でぬかるんだ道を下り、箸墓正面へ。

 今回、私がどうしても箸墓を見ておかねばと思った理由は、古代史好きにとって箸墓踏査は基本中の基本という思いもさることながら、箸墓が、巻向山を背に左右に並ぶ二つの山のうち、三輪山ではないほうの北側の山頂を向いて建造されているという説(「天文で解ける箸墓古墳の謎」豆板敏男著・青垣出版)を読み、それが本当かどうか、この目で確かめたかったからだ。


  箸墓ー弓月ケ岳位置図
 (手書きでスミマセン。Googlemapを自在にあやつる能力は梅前にはないの)

 地図で調べると確かに、箸墓の中心線は三輪山と対象の位置にある北側の山(豆板氏の本では「弓月ケ岳」と呼んでいる)の山頂方向を向いている。この本に書いてある他のさまざまな説は結構飛躍的なものが多いのだが、この説はなかなか興味深い。両槻会の御大はどんな立派な先生の説であってもまずは疑ってかかるとのことだが、私の場合、どんな説でもすぐに信じてしまう。勧誘されればあっという間に壺を買ってしまうタイプなのだ。(気をつけねば)

 まあそんなわけで、実際に箸墓に立ってみて、そこからどのように「弓月ケ岳」が見えるのか、さらにはそれが本当に「拝するに足る山であり風景なのか」を確かめてみたかった。


 ところが実際には、箸墓の先には民家が立ち並んでいて、弓月ケ岳の方向を望むことはできなかった。箸墓に生える木の上にでも登れば見えるのだろうが、さすがの私も宮内庁管轄地を侵す勇気はない。


 箸墓のまわりをぐるりと一周したあと、次の目的地、檜原神社へ。

 またまたスマホの地図を頼りに歩く。便利な時代になったもんである。迷子にならないかわりに、「野生の勘」が衰えそうな気もするが。

 途中、ポツポツと雨が落ちてくるが、傘をさすほどでもない。天気予報を見て雨ガッパに加え折りたたみ傘も用意してきたので、傘をさそうかと思ったが、さそうとするとやんでしまう。見上げれば、三輪山から続く峰々には、幽玄な雲がかかっている。

 檜原神社へ向かう道は、結構な急坂であった。お散歩なのか、地元の人らしき腰の曲がったおばあさんが、私の10メートルほど先を歩いている。ゆっくりとした足取りなのに、なぜか追いつけそうで追いつけない。檜原神社の手前まで来て、私が道案内の標識にカメラを向けている間に、おばあさんの姿は忽然と消えていた。

  山の辺の道案内図



 不思議な気持ちのまま、檜原神社の境内へ。

 朝早いからか、観光客の姿はまったくない。
 境内の砂利を丁寧に掃き清めている方がいて、京都の庭園がごときその掃き筋のあまりの美しさに、足を踏み入れるのがためらわれた。


  檜原神社3


 この檜原神社に来るのは20年ぶりである。

 私が遅い結婚を決めた年の春、家族水入らずの最後の旅行をと、父と母が連れてきてくれたのだ。
 その時には、この神社のかたわらまでタクシーで来て、大神神社まで山道を歩いた。その道があの有名な「山の辺の道」なのだと教えてくれたのは父である。

 それから何年もたって、古代に材をとった小説を書いたとき、重要な舞台として設定したのがここ檜原神社だった。両親と訪れたときに知った、ここが「元伊勢」であるという伝承と、鳥居の向こうはるかに望まれる二上山の姿が、あまりに印象的だったからである。
 私があの小説を書くことができたのは、私をここに連れてきてくれた父と母のおかげであり、彼らを通じて私に連綿ともたらされた血脈のおかげと私は信じている。


  檜原神社2


 この神社の鳥居はちょっと変わった「三ツ鳥居」である。境内に掲げられた説明書きによれば、大神神社の鳥居もこの形をしているらしい。室町時代にはもうそうした形の鳥居が建てられていることから、かなり古い時代から受け継がれてきたものと考えられるという。他の神社とは異なるその鳥居の形が何を意味するものかははっきりとはわからないが、私は個人的には、古い時代の太陽信仰の名残ではないかと考えている。



  檜原神社1


 20年前に来たときよりも鳥居が新しいような気がしたので、砂利を掃き清めていた男性に声をかけ、うかがってみたところ、伊勢神宮の式年遷宮の際に出た古材を拝領し、先年建てなおされたとのことだった。20年間伊勢の神様をお祀りしていた檜が、この「元伊勢」と呼ばれる地にやってきて、古来の信仰を残す三ツ鳥居となってよみがえったというわけだ。何やら大変ありがたい話である。



 檜原神社の清浄な空気にいつまでも包まれていたかったが、電車に乗り遅れるわけにはいかない。桜井方面への電車は30分に一本しかないのだ。

 檜原神社の脇から、大神神社に続く道が延びていた。かつて父母とたどった山の辺の道だ。その道を歩いて三輪に出、そこからJRに乗るという考えも一瞬頭をよぎったが、もし万が一間に合わなかったら、御大はじめ両槻会の方々や参加者の皆さんに迷惑をかけてしまう。山の辺の道は次に来たときのお楽しみ、ということにして、足早に巻向駅に向かう。



 途中、箸墓と「弓月ケ岳」を結ぶ線上を通過。

  「線上」から見た箸墓
  線上から見た箸墓。


  「線上」から見た弓月ケ岳
  振り返って「弓月ケ岳」。

 弓月ケ岳の山頂は、(もしかしたら近世に造られた人工的なものかもしれないが)、ピラミッドのような特徴的な形をしている。古代からその形だったとしたら、箸墓が弓月ケ岳に向け建造されたという説は、かなり信憑性が高いように思える。(と、また壺を買ってしまう梅前であった)


 巻向駅には予定の15分前に到着。箸墓から渡ってくる風に吹かれながら、ぼんやりと電車を待つ。見れば、箸墓の先、集合場所である桜井駅のあたりには、雲の切れ間から柔らかな陽ざしが降りそそいでいる。

 ああ、ここに来られてよかった。

 しみじみと、そう思った。私をここに来させてくれたすべての人々に、そして、ここに私を導いてくれた出会いに深く感謝する。それから、自分自身の健康にも。なにかひとつでも欠けていたら、私はここには来られなかった。私をとりまく、すべてのものに。すべてのことに。すべての人に。ただひたすらに、感謝。



 ことことと、小さな電車がやってくる。

 それに乗り、私はこの懐かしい地をあとにした。

(2016年12月8日)

 

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