美男子てんこもり

大塚ひかりさんの「美男の立身・ブ男の逆襲」(文春新書)によれば、『日本書紀』『古事記』に登場する男性たちには

美男子が多い

という。
そう言われて見れば確かに、

正妻である須勢理毘売を始めとして、越の沼河比売、宗像の多紀理毘売、稲羽の八上比売、神屋楯比売など多数の女たちと関係を持った大国主命(オオクニヌシノミコト)

海神の娘・豊玉毘売と、会ったとたんに「目合い(まぐわい=わかりますね)」する山幸彦

言わずと知れたヤマトタケル

などを始めとして、日本の神話には「美男」が大勢登場する。

ついでにいえば、『風土記』に登場する浦島太郎までもが、実は結構な美男だったらしい。(auのコマーシャルはあながち嘘ではないってことだ)


それはともかく、16歳のヤマトタケルが女装して熊襲建に近づき、「尻から剣を刺し貫い」たり、出雲建を謀って「相手と剣を交換し」たりする場面なんて、美男子を通り越して

あやしげな香り

まで漂ってくる。
BLの例を引くまでもなく、いい男にはとかくそういう噂がつきまとうものなのだ。


大塚ひかりさんによれば、そうした「美しさ」が武器となるのはせいぜい30歳までのことで、だからこそヤマトタケルは若くして死なねばならない運命にあったのだという。

‥‥確かにね。ジュリーの出っ腹が哀しいのも、ジェームス・ディーンが永遠の輝きを放つのも、そのあたりに理由があるというわけだ。


さらに、「顔がいい」のは「前世で徳を積んだ」ためで、ブ男に生まれたのは「前世で悪いことをした」からだと信じられていたという。

現代なら「そりゃねーだろ」な考え方だが、古代ではまじめに信じられていたらしい。だからこそ彼らは、「容貌が衰える」ことに対し、異常なまでの恐怖を抱いていた。唐の太宗や高宗の命を縮めたのは、当時不老不死の妙薬とされていた水銀だったというから恐ろしい。
今も美魔女たちはプラセンタだのボトックスだのデトックスだのとアンチエイジングに奔走しているが、古代は現代にも勝るアンチエイジング社会であったらしいのだ。


そんなわけで美男子がわんさか登場する『日本書紀』『古事記』であるが、なぜことさらにそうしたのかというと、その理由はなんと、

古事記成立当時の天皇・元明も、書紀成立当時の天皇・元正も、ともに女帝だったから

だと大塚ひかりさんは書いている。
つまり、美男子を大勢登場させることで「女帝受け」を狙ったのではないか、というのだ。

思わずひっくり返ってしまう説だけれど、まあ、ありえない話ではない。
読者を意識して書くのは古今東西変わらぬだろうし、史書とはいえ最初に読むのは元明や元正なのだから、編者が自分でも意識せぬうちに思わず「盛って」しまったことも考えられる。
現代だって、ドラマにせよ映画にせよ、女性に観てもらいたいと思ったら、一番手っ取り早い方法は、いい男を大勢出すことではないか。

私の計算によれば、古事記成立当時の元明は52歳、日本書紀成立当時の元正は41歳である。ま、一時期韓流スターに夢中になったオバちゃんたちの年齢と考えれば、記紀編纂者たちの狙いもドンピシャリだったと言えなくもない。



それはともかく、当時は「妻問い婚」が主流であった。
女の家に男が訪ねていき、婿として迎えられるのである。
身分や財産がある家の娘の心を動かし、彼女を妻とするためには、男に必要なものはズバリ「美しい顔」だった。つまり男にとって容貌の美醜は死活問題でもあったのだ。

そして、そうした権力と経済力の頂点にいたのが「女帝」だった。
記紀の編者たちが彼女らに多少おもねったとしても、それは仕方のないことだったのではないだろうか。



ちなみに、私個人は、若い頃はそりゃもう自他ともに認めるほどの「面食い」であったが、年齢を降るにつれ考えが変わり、今では若い頃の自分を殴りつけてやりたいほどの「男は顔じゃない派」である。
「顔じゃない」といっても、この場合の「顔」は「顔立ちそのもの」のことで、「生まれもった目鼻立ちが整っているかどうかは問題ではない」という意味だ。

男の顔は時とともに変わる。
40を過ぎてからの男の顔は、それまでの生きざまが如実に表れてしまう。若い頃どんな美男子だったとしても、それに溺れ、卑しい生き方をしてきた人は、隠しようもないほど卑しい顔になっている。逆に、顔立ちそのものは大したことなくても、まじめに真剣に生きてきた人は、人を惹きつける「いい顔」になっていることがほとんどだ。
若い頃「ブ男」だった人のほうが、真摯な努力を続けられるから、年をとっていい顔になる人が多い。逆に、美男子は自分の容貌が永遠の力を持つ魔法の杖だと信じているから、無残な老醜をさらしてしまう。その点からいうと、結果的にはブ男のほうにアドバンテージがあると言っていいかもしれない。

キムタクなど、まさにその境目にいるといっていいだろう。老醜をさらすか、味のある容貌を手に入れるか、まさに彼の生き方にかかっている。
高倉健、渡辺謙などは、若い頃も輝くばかりの容貌だったが、年をとってさらに内面がにじみ出るいい顔になった。しかし彼らは例外といってよく、若い頃「顔」で売った俳優で、今も輝き続けている人はめったにいない。

そうした持論の持ち主なので、私は、自分の書いた小説の中に「美貌の男の無残な末路」を組み入れた。彼の最期が無残を極めたのは、もしかしたら無意識における私の復讐だったのかもしれない。
彼の死は、筆者である私や、作中の登場人物、読者を含めて、誰からも悼まれなかった。あまりに気の毒なので私は、主要な登場人物たちが難波を棄都するにあたり、彼の息子である有間皇子に叫ばせた。

「大和でもどこでも行ってしまえ。この難波の都は、父上と吾のものだ」

古代史ナンバーワンアイドル、有間皇子のこのセリフで、私の作り出した「顔だけ男」の魂が少しでもなぐさめられたらと願う次第である。

(2016年11月17日)

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