雨乞いの地から「飛鳥」は見えるか

 近頃は、地図上の1地点からどこが見えるかを調べることのできるソフトがあるという。それを使えば、例えば富士山の山頂からどの場所が見えるか、どこまで見えるかを、実際に富士山に登らずとも調べることができるのだ。
 Googlemapの3D機能を使ってもできるらしいのだが、「カシミール」というソフトもあるらしい。

 「らしい」というのは、そういうことができると教えていただいたはいいものの、それを使いこなすことができずにいるからだ。まったく、機械音痴の面目躍如(?)である。


 そのようなソフトがあると知ったきっかけは、「斉明天皇が建てた両槻宮は、多武峰の南側に位置する『冬野』にあったのではないか」とする、れんしさんのブログ記事だった。
 詳しくはれんしさんのブログを参照していただくとして、その説に興味を持った私は、飛鳥応援大使の大先輩でもあり、「両槻会」事務局長でもある風人さんがたまたま「冬野に電波塔が建っている」とブログに書かれていたのを見かけ、その電波塔が飛鳥から見えるかどうか調査を依頼した。
 ぶしつけなお願いだったにも関わらず、風人さんは電波塔が飛鳥のどの地点から見えるかを詳細な地図に書き込んでブログにアップしてくださり、さらには実際に冬野を踏査した写真を送ってくださった。
(詳しくは風人さんのブログをご覧下さい。風人さん、お忙しい中お時間を割いて下さり本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます)

 で、その際、風人さんから、「Googlemapの3D機能を使えば調べられるんですよ」と教えていただいたのだ。
 風人さんの調査結果を受けたれんしさんは、「カシミール」というソフトを使ってそれを検証された。
 そうした経緯で、それらのソフトの存在を知ったというわけである。

 知ったはいいが、パソコンの基本的な扱いにも苦労している梅前のこと、そんな高度なものを使いこなせるはずもない。
 んで、風人さんとれんしさんが冬野の電波塔について、「おお、確かにここからでは見えませんな」「もちょっとこっちに行かないと」「なるほどなるほど」などと言い合うのを(いや、実際にお話ししていたわけではなくて、ブログ上でね)、指をくわえて見ていた梅前であるが、ふと思いついたことがあった。

 実は私は、自分の著作について、ずっと心にひっかかっていたことがあったのだ。それを、この最先端技術で解決してもらおうではないか。

 それは、私の書いた小説の中の、皇極天皇の雨乞いの場面である。(第2部 6章「至徳の大王」)
 私は、皇極が雨乞いを行った場所を、日本書紀にある「飛鳥川の川上」という記述から、現在「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」があるあたりであろうと推察した。そこは飛鳥川から小高い丘になっており、皇極の雨乞いはその丘の上で行われたのではないかと考えたのである。
 小説の中で、皇極は飛鳥の地を見おろしながら雨乞いをし、祈りが天に通じて雨が降る。乾ききった大地を雨がうるおし、集まった民衆たちは「至徳の大王だ」と彼女を讃える……、ってな筋書きだ。

 その場面は、長い(長すぎる)私の小説の中でも、重要な転換点となる場面である。
 私の小説の中では、隋への留学生・高向黒麻呂は留学前の神事で、のちに皇極となる宝姫王に一目ボレする。それからまあいろいろとすったもんだがあったのち、長年の留学を終え帰国してみたら、彼女は舒明の正妃にはなってるわ、蘇我入鹿と不倫してるわで、もうあんな女のことなんかプーンだ、って感じでヤケになってた黒麻呂だったんだけど、雨乞いに現れた彼女の神々しい姿を見るや、

ちょっとトシくっちゃったけど、やっぱマジいい女じゃねえか。
オレ、やっぱタカラちゃんのこと好っきやねん!

と思い直し、乙巳の変に向かってGO!ってな展開になるのだ。(いや、実際はもっとまじめに、格調高く書きました、ハイ)
 さらに、そこでタカラちゃんの露払いを務めた若き日の額田王に、居合わせた中大兄と大海人が一目ボレ、あとは皆さんよくご存知の展開に、っていう、「この場面がなきゃ、あとの話が成り立ちませんよ奥さん」ってほどの重要な場面なのだ。

 そんな大事な場面なので、さすがの梅前も実地踏査に出向いた。今から7年前の夏、ムスメが中学受験の塾合宿でヒーヒー言ってる隙をついての日帰り弾丸ツアーである。
 橿原神宮前でレンタサイクルを借り、例によって朝風峠越えに失敗したり道に迷ったりといろいろあったあげく、汗だくになって飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社にたどりついた。
 行く前の想像では、山頂には木はまばらで、手前の小高い丘ごしに飛鳥が見渡せる、ってなイメージでいたのだが、実際には木が繁っていて見渡すどころではなかった。どこか見晴しのいい場所はないかと木立の中にガサガサと分け入ってみたりしたけれど、神域であまり不審な行動を取るのもね、と引き返してしまい、そこから実際どんな景色が見られるのかは、ついに確かめられずじまいだった。
 ま、いいか、木がなかったら見える、ってことで、と雨乞いの場面を書いてしまったわけだが、それを書き終え、出版してからも、

本当にあそこから飛鳥が見えるのか?

と、心にひっかかっていたのだ。
 そこに今回のGooglemapにカシミールである。ここはひとつ、調べてもらおうじゃありませんか。

「雨乞いの地から飛鳥が見えるかどうか」 を。

 依頼したのはカシミール使いのれんしさんである。風人さんに頼んでもよかったのだが、あのあたりをくまなく歩きまわっている風人さんのこと、ソフトを使って調べるまでもなく、

そんなん見えるわけないじゃないですかッ!
寝言は寝床で言いなはれッ!

と一喝されそうで怖かったのだ。
(いや、実際の風人さんはこんな言い方はしません! 穏やかな優しい方です! 風人さんからはGooglemapの使い方について懇切丁寧に教えていただいていたので、「すんません、使い方わかりませんでした」とは言えなかったというのが実際のところです)

 で、多忙なれんしさんに無理を言って作っていただいたのが以下の図。
 掲載許可をいただいたので、堂々と転載。

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社 [131903]2
 これが、「カシミール」による、私がタカラちゃんの「雨乞いの地」とした飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社からの眺望である。

 左右から山がせり出していて、開けているのは畝傍山方向のみ。 「朝風峠北側」というのは、天武持統陵の向かい側にある小高い丘を暫定的に命名したもの。察するに、民宿脇本さんの横にある高台ですかね。(違うかも)


「山に隠れて見えないスポット」を表示すると以下のようになる。(見えないものも見えるとは、すげーよカシミール)

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社すべて表示 [131904]2
 甘橿丘などが山にさえぎられ、ほとんど見えていないことがわかる。

 要するに、飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社のあたりからは、畝傍山方向しか見えない!というわけ。

 うへー。
 全然方向ちゃうやん。
 私、耳成山、下手すりゃ香久山あたりまで見えるようなつもりでいたよ。角度ズレズレだってばよ。


 その上私は、「飛鳥とは、蘇我が開拓した、非常に狭い範囲の土地にすぎない」と書いてしまっていた。タカラちゃんがその飛鳥から逃れ(つまりは蘇我の支配から逃れて)、磐余に宮を遷そうと画策する場面があるのだ。
 私が「飛鳥」と設定したのは、現在飛鳥寺や板蓋宮跡があるあたりの、ささやかな平地にすぎない。そして今回、雨乞いの地からその方向はまったく見えないとのカシミールさまのお告げであった。
 痛恨のミスである。



 そういえば、風人さんに拙著をお送りしたときも、第2部巻頭の地図について

「梅前さんが百済宮と推定されている場所は低地で、とても宮を建てられる場所ではありません」

とのご指摘をいただいた。
 あとから両槻会の資料を読んでわかったことだが、あのあたりに宮があったとすれば、百済大寺推定地(吉備池廃寺)の東側ではなく、「西」だったようだ。

 拙著をご購入くださった皆さん! そこ、書き直しておいて下さい! 
 百済大宮は百済大寺の「西」です! 「西」!

 ……って、読者に書き直しを依頼する作者がどこにいるっ!(と頭をかきむしる梅前)

 雨乞いの場面も書き直し依頼かよっ、とシクシク泣きながらその場面を読み返してみたところ、な、なんと

「飛鳥を見おろす」

という表現はどこにもないことが判明した。
 やったね、私!
 えらいぞ、私!
 ……って、書かなかったのは単に自信がなかっただけかも。 (←もう覚えていない)

 で、どんな表現だったかというと、

「眼下に大和盆地がはろばろと開けていた」

 セーフ!

 ほーっほっほっ、やっぱり私の勝ちね!

……と思ったら、「大和」って表記は、奈良時代になってから当て字されたものを、確信犯的に使ったんでした。
「倭盆地」ってのも変だし、「ヤマト盆地」っていきなりカタカナ表記も変だし、ここは「大和」でいいんじゃないっすか? いいよね、ねっ、とか言って、編集のひらねえを無理矢理押し切ったんだった。
いずれにせよ、

 どっちに転んでもアウトだった、というわけ。
 (自爆)

(2016年4月28日)

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