「伊勢物語」

今回は「伊勢物語」。



「伊勢物語」といえば、

むかし、男ありけり

で始まるんで有名、ってことは皆さんご存知のことと思います。
この梅前ですら知ってたくらいだし。
んで、その「男」ってのも、

在原業平

のことですよ、って、遠い昔、古文の授業で習いました。
彼は「元祖モテ男」とされているな。

光源氏さまみたいな男性だったんですね、彼は。

なんて言いながら、オールドミス(←死語)の古文の先生が目をうるませていたのを、なんだかとってもはっきりと覚えてます。
ま、あらためて読んでみますと、125段にわたる伊勢物語自体、

恋の見本帳

みたいなもんなんですな。
それらのほとんどが「むかし、男ありけり」で始まっているんだから、男=業平くん だとすれば、彼は大変なモテ男だったわけで、古文の先生が目をうるませていたのも道理といえましょう。


ところがその業平くん、単なるモテ男だったわけじゃないよ?

父は平城天皇の皇子、阿保親王。
母は桓武天皇の皇女、伊都内親王。

 つまり、父方母方どちらをたどっても祖父は天皇というわけで、彼はれっきとした皇族「業平王」だったわけですよ。
 ただ、薬子の乱により、当時の皇統は嵯峨天皇系に移ってしまっていて、彼は父の意向もあって臣籍降下したのですね。高貴な血筋。臣籍降下。まさに光源氏なわけで、こりゃ~もてないはずがない。

 なので、伊勢物語が、「業平・俺の愛した女たち」的なノリで、当時の女性たちをキャーキャーいわせたことは間違いない。


 で、伊勢物語は、彼の初冠(ういこうぶり)から書き起こされています(第1段)。初冠ってのは元服のことですな。つまり、大人になった、と。

 で、大人になったとなればさっそく初体験ですわ。さっそく女のところに通った業平くん、帰ったあと女に贈った歌、なんてのが書かれているのが第2段。


起きるでもなく眠るでもなく夜を明かし、今日は降る雨をぼんやりながめてすごしてました。


 なんて、「それがどうした」的な歌だけど、初体験のあとはこんな感じなんでしょうかね、男性ってのは。

 ま、それはさておき、第3段以降は、彼の引き起こした大スキャンダルに突入していくわけです。

 彼が愛したのは藤原高子(ふじわらのたかいこ)。政敵ともいえる藤原氏の娘で、のちに清和天皇の妃となった女性です。

 伊勢物語には、その相手が高子だとは一言も書いてない。けれど、当時の人たちにとってみれば、「ははぁん、あの二人のことね」とすぐにわかる話だったらしい。

いずれにせよ、恋は障害があるほど燃え上がる。
これは洋の東西を問いませんな。

 んで、第6段にいたり、業平くんはついに行動に出るわけです。ついに彼女を連れて逃げることにしたんだな。
 いや、ここも業平くんとは書いてない。ただ「男」とあるだけ。女のほうも、高子という名はどこにもない。ただ男が女を盗んで逃げ出した、と書いてあるだけで、それが事実かどうかは誰にもわからないという仕掛けです。
 その「男と女」がどうなったかっていうと、

薄気味悪いあばら家に女を隠しておいたら、女は鬼に食べられてしまった

 という、仰天の結末。ひょえ~~、ってもんですな。鬼に? 食べられた? 何それ?
 ……でも、伊勢物語にあとからつけられたと思われる「注釈」には、「みんな知ってると思うけど、この女ってのは藤原高子のことで、それを盗んだのは在原業平。で、鬼ってのはつまり、彼らの恋愛に大反対だった高子のお兄さんたちのことで、彼らが高子を取り返した、と。そういうお話なんスよ、コレ」なんて書いてある。

いやいや、そんな注釈いらね~だろ(怒)

「男」が「女」を盗んだ、って書いてあれば、当時の人たちは「ああ、あの二人のことね」ってすぐにわかったはずだし、鬼に食べられたと書かれている「女」が天皇の妃になったことからして、食べられたんじゃなくて連れ戻されたってことよねコレ、とすぐにわかったはずだ。
 明記しないのが「面白さ」であり、「秘密を共有」するみたいなドキドキ感があったはずなのに、その注釈があるばっかりに全部ぶち壊し。まったく、無粋な人がいたもんだ。


 まあ、鬼に食べられたかどうかはともかくとして、そんな悲しい顛末にも関わらず、この段は大変人気があるらしい。それも特に男性ファンが多いとか。というのも、この段には、

白玉か何ぞと人の問ひしとき 露とこたへて消えなましものを
(「真珠? あれは、なあに?」とあなたが聞いたとき、「あれは露ですよ」と答えて、そのままわが身も露になって消えてしまいたかったのに)

の歌が詠みこまれているから。
 これは、高子を失ったあと業平が詠んだ歌。
 彼女を背負って逃げている最中、草の上に夜露が玉となってキラキラと光っている様子を見た高子が、「あれは、なあに?」と聞いたのだろう。あれは露ですよ」と答えたけれど、こんなことになるのなら、あのまま露となって消えてしまいたかった……。深い悔恨と女への切実な想いが伝わってくる、いい歌ですな。

 この歌がオトコゴコロをぐっとつかんで離さないのは、「あれは、なあに?」の一言でしょう。
 男は女を背負って逃げている。いつ追っ手が来るかわからない。彼はひたすら先を急ぐ。そんな切羽詰まった状況の中で、耳元に聞こえてきたのは「あれは、なあに?」という無邪気な声。
 たぶん、女の柔らかな腕は彼の首に回されていたことだろう。自分一人を頼り、自分だけを信じて今、背に負われ、運命を共にする女。彼女の吐息が彼のうなじに優しくかかる。けれども、彼はそれに構ってなどいられない。前へ。前へ。そして女は言うのだ、「あれは、なあに?」と。

 この純粋さ。この無垢さ。彼女は大切に育てられたお姫様であるから、草に光る露などそれまで見たことがなかったのだ。
 切羽詰まった状況ではあったけれど、あとになって振り返ってみれば、あのときあのまま消えてしまいたかった、と男が嘆くのも無理はない。
 あの瞬間こそが至福のときであったのだ。

 ……と、世の男性たちは「うぉぉ~高子ちゃん、カワエエ~~」と涙を絞るわけですな。
「おんぶしてる」って状況もいい。おんぶってある意味、正面きっての抱擁よりも密着感があるし、しているほうにとっては「頼られ感」がハンパないはずだ。そんな、全身あなたに頼ってます的な状況の高貴なお姫さまが、「あれは、なあに?」と聞いてくるのだ。まさに秒殺といったところでしょう。


 ……だけどさ~。
 と、ひねくれたオバサンは思ってしまう。
 いくら深窓の姫君とはいえ、男と逃げている最中に「あれは、なあに?」はないだろう。緊迫感がなさすぎる。
 彼女だって、「男と逃げる」ことがどういう事態を引き起こすのか、知らなかったはずはない。
 かといって、無理矢理連れて来られたとも思えない。おんぶは、されるほうにその意思がなければできないはずだからだ。

 にもかかわらず、彼女に緊迫感はまったくない。

 ということは?
 もしかしたら彼女は、「兄たちが自分を連れ戻す」という結末を、知っていたのではなかろうか。


 え~、バレちゃったぁ? そうなの、アタシ、若いうちにちょっと冒険してみたかっただけなんだよね~。 
 業平、っての? あれ、結構いい男だしさぁ、人気者じゃん? 彼と「愛の逃避行」みたいな~、してみようかな、って。 
 そうなの~、お兄ちゃんたちには最初っから言ってあったんだよぉ。だって、ホントに連れてかれちゃったらヤじゃん? アタシは深窓の姫君だよ? 藤原家の娘だよ? 臣下に下るなんてとんでもないし
 でさぁ、結構楽しかった。アタシをおんぶして、業平、頑張って走ってくれるわけ。アタシも彼の首にギュ~、なんてしがみついちゃったりなんかして。んで、なんかキラキラしたものが見えたから、彼の耳元で「ねえ、あれはなぁに?」なんて聞いたりしてね。「あれは露ですよ、高子さま」なんて、なんかさ、あの瞬間だけは、あいつとこのまま一緒にいてもいいかなぁ、なんて思っちゃった。えへへ


 ……業平。あなたが背中に負っていたのは、途方もない怪物だったのかもしれません。まさにそれこそが「鬼」といってもいいような……。

高子ちゃんカワエエ~~、とかおっしゃる男性諸氏。くれぐれも、お気を付けあそばせ。

(2015年12月3日)

 

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