飛鳥の秋祭り

皆さんの中に、「夜の飛鳥」を歩いたことのある方はどれくらいいらっしゃるだろうか。

明日香村にはペンションや民宿はあるが、大規模な観光ホテルはないので、地元にお住いの方ならいざ知らず、他県から観光で訪れた方で、夜の飛鳥を歩いたことのある方はなかなかいないのではないだろうか。

先日の「飛鳥学冠位叙任試験」の前日、飛鳥応援大使の交流会が飛鳥寺研修会館で行われたのだが、そこから夕食をとりに「caféことだま」まで、夜の飛鳥を歩いた。

飛鳥寺研修会館で大使の活動報告と、明日香村教育委員会・高橋幸治氏による発掘調査報告が行われたあと、徒歩で「caféことだま」へ向かったのだが、午後6時を過ぎた飛鳥はもうすでに真っ暗だった。

「すぐそこです。歩いて5分くらいかな?」

などと古都飛鳥保存財団のI氏は言ったが、いやはや20分は歩いた。あとで地図を見たら、飛鳥寺から亀形石造物の脇を通り、酒船石、板蓋宮跡に曲がる道も通り越した先であった。とはいえ、村役場から岡寺の駅までも「すぐそこ」と言うんだから(実際はかなりある。歩いたら30分はかかるはず)、明日香村民の健脚ぶりには恐れ入る。

それはともかく、その夜は、飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の「秋祭り」がおこなわれていた。

飛鳥坐神社の祭りといえば、セクシャルな所作で知られる「おんだ祭り」が有名で、その日は全国から観光客が押し寄せるのだが、この秋祭りは地元の人たちが身内だけでささやかに行うお祭りらしく、お祭りの夜だというのに神社の周囲は静寂に包まれていた。境内には観光客の姿はおろか、お祭りにはつきものの夜店の一軒すら出ていなかった。


明日香村の夜は暗い。

景観保護条例もあって、建物は高くても2階建てで、街灯も少ない。昼間は大勢の観光客が行きかう飛鳥寺脇の道も、お祭りの夜だというのにしんと静まり返っている。
お祭りらしいものといえば、民家の軒先につるされた提灯だけだ。暗い夜道のそこここに提灯がぼんやりと浮かび上がっているさまは、あたかも「千と千尋の神隠し」の一場面のようだ。

そんな夜道の先に、お祭りの山車が現れた。
大きめのリヤカーほどの山車には、顔を白く塗った小さな子どもが数人乗っており、大きい子どもたちが太い綱でそれを引いている。山車の上に取り付けられた電球が、子どもたちの白い顔をぼんやりと照らし出している。派手な鳴り物は何もなく、チン、チン、と小さな鉦の音だけがあたりに響いて、山車の通行を知らせている。
子どもたちの親らしき人たちが脇を歩いているのだが、特に華やいだ様子はない。世間話などを交わしながら、ゆったりと歩いているだけだ。

めったに見られない光景に、私は山車にカメラを向け写真を撮ったが、ここにそれを載せることはしない。なぜなら、そこに映った子どもたちや親の了解を得ることは不可能だし、それより何より、あの祭りが、「彼らのための、彼らのだけの祭り」のように思えてならないからだ。
あの祭りは、観光客に見せるためではない、彼らの生活に根ざした、彼らだけのものであるはずだ。そこに部外者が土足であがりこんでいいはずはない。

観光地・飛鳥に暮らす人々にも、生活がある。そこに生まれ育ち、子を生み育て、やがて老いて死んでいく、その過程としての日々の暮らしがあるはずだ。ささやかな、地味すぎる秋祭りの光景は、私にそんなことを気づかせてくれた。

山車は、私たちの存在などなかったかのようにゆっくりと向きを変え、村役場の方へと去っていった。


その夜、「caféことだま」での美味しい食事のあと、再び夜道を歩いて飛鳥寺研修会館に戻り、応援大使の皆や古都飛鳥保存財団の方々とお酒を飲んだのだが、その時にも、飛鳥に住む人々について話が及んだ。

飛鳥にはのどかな田園風景が広がり、秋には曼珠沙華が咲いて観光客の目を楽しませる。
だがそれは、厳しい景観条例によって規制されているからこその風景なのだ。

古都飛鳥保存財団のI氏の話によれば、夜、電車に乗って飛鳥に帰ってくると、隣市と明日香村の境界が一目でわかるという。明日香村に入ったとたん、明かりがなくなり、真っ暗になるのだそうだ。

それは実際、昼間歩いても一目瞭然だ。明日香村と道一本へだてた隣の市では、大規模な宅地造成が進んでいる。蘇我蝦夷と入鹿の「双墓」との説がささやかれる宮ヶ原1号墳、2号墳も、宅地造成の波にのまれ、姿を消してしまった。もうあと少しだけ南、現在の明日香村域内に築造されていたなら、それらは破壊をまぬがれ、古墳として残っただろう。宮ヶ原1号墳、2号墳が本当に蘇我蝦夷と入鹿の双墓だとしたら、彼らの末路とあわせ、何か無常を感じさせる話だ。

そうした厳しい景観条例に守られている明日香村だが、そこに暮らす人々の不便は並大抵のものではないはずだ。
隣の市に住む人たちは、自分の土地を宅地造成業者に売り渡したり、ビルを建ててテナント料収入で暮らしたりしていけるというのに、道一本へだてただけで、明日香村村民には許されない。
そうやって景観を守り、遺跡を保護して暮らしているにもかかわらず、村には大きなホテルを建設することができないから、観光客は隣の市や奈良に泊まり、明日香村にやってくるだけだ。彼らが落とすのは拝観料やお昼ご飯やレンタサイクル代など、微々たるお金にすぎない。

明日香村の人々はみな、そうしたジレンマを抱えながら生きている。自分たちが苦労して景観を守り、遺跡を守って暮らしても、観光客は昼間そこを通り過ぎるだけで、主たる観光収入は隣の市や奈良、あるいは京都にもっていかれてしまう。

そうしたさまざまな問題について、飛鳥寺研修会館の一室で深夜遅くまで議論を戦わせたが、結局、結論は出ないまま終わった。

それは明日香村が、そして全国の観光地が抱える問題でもあるのだろう。

悠久を感じさせる地、飛鳥。
そこに広がる穏やかな風景が、明日香村の人々の犠牲と忍耐の上に成り立っていることを、せめて忘れずにいようと思う。



<追記>
飛鳥では近頃、写真を撮るために民家の敷地に入り込んで三脚を立てたり、畑を踏み荒したりする観光客が増えているという。そうした被害を懸念して、庭に咲いた曼珠沙華の花を根こそぎ抜いてしまう村民もいるらしい。そんな悲しいことをさせないよう、節度とマナーを守って観光したい。

(2015年10月30日)

 

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