四騎獅子狩文錦

奈良県・法隆寺に

「四騎獅子狩文錦」(しきししかりもんにしき)

という貴重な錦が伝えられている。
小野妹子が隋から持ち帰り、
厩戸皇子(聖徳太子)が御幸の際に
御旗にしたとされる錦だ。

もちろん、国宝である。
退色を防ぐため、一般公開はされていない。
この錦は今、法隆寺の北倉の、光を遮った
倉庫の奥で、厳重に保管されているはずだ。

門外不出のこの「四騎獅子狩文錦」を、
私は実際にこの目で見たことがある。
もう20年近くも前になるが、
1995年に特別公開された際、
拝観する幸運に恵まれたのだ。
普段は立ち入ることのできない金堂の内部や
聖霊院、一般公開されていない国宝、
さらには法隆寺の謎のひとつとされている
伏蔵まで間近に見られるとあって、
入場券は大変な倍率だったと記憶する。
往復はがきでの申し込みだったが、
一人一枚のみの応募とのことで、
親戚一同20名近くの名前を拝借し、
ようやく一枚だけ当たったのだ。

この目で見ることがかなった四騎獅子狩文錦は、
予想を上回る大きさだった。
縦250㎝、幅134㎝もあるのだ。
まあ、馬上から竿にくくりつけて垂らせば
ちょうどいい大きさなのかもしれないが、
旗として使うにはかなりな腕力が必要だ。
それを持つことのできる従者がいるということも
一種のステータスシンボルだったのかもしれない。

斑鳩に宮を構えた厩戸皇子は、
当時朝廷が置かれていた飛鳥まで
16km以上ある道のりを馬で通い、
「騎馬太子」と呼ばれたというから、
その際に使用したものかもしれない。

この錦は、厩戸皇子が物部との戦いの際に
「錦の御旗」として使ったという伝承もあるが
小野妹子が隋から持ち帰ったものだとすると
年代が合わない。
私個人としては、小野妹子がはるか隋から
持ち帰ったという説を採りたい。
そのほうが、断然ロマンチックだからだ。

錦に織り出されているのは、
円形の文様が横に3個、縦に5個の計15個。
円の中には、馬に乗った4人の男が
今まさに獅子を射ようとする姿が描かれている。
男たちは髭を生やしたエキゾチックな顔立ちで、
頭には日と月を現した冠をかぶっている。
馬には翼が生えており、どうやら天馬のようだ。
4人のうち上段の男2人は外側の獅子を、
下段の男2人は内側の獅子を
馬上から振り向きざまに矢で射ようとしている。
解説によれば、振り向きざまに騎射するのは
「パルチアン・ショット」と呼ばれ、
中央アジア風の騎射方法らしい。
また、円を取り巻く唐草文様については
フェノロサが「ギリシャ直系」と指摘したという。

この錦がどこで織られたものかは
わかっていない。
武人の表情や冠、唐草文様、天馬などに
ササン朝ペルシャの影響が色濃いことから、
東イラン付近で織られたという説もあれば、
上段の天馬の尻の部分に「山」、
下段の天馬の尻に「吉」の文字が
織り出されていることからみて、
西方の影響を受けた中国、あるいは東アジアの
どこかで織られたものとの説もある。
いずれにしても、
この四騎獅子狩文錦はまさに
シルクロードをはるかに越えてやってきた
「この国の宝」なのだ。

遠い遠い西方のどこかで織られ、
小野妹子が海を越えて持ち帰った
「四騎獅子狩文錦」。
その実物が目の前にあると思うと胸が震えた。
ガラスケースにへばりついて離れない私を、
誘導の係の人がちょっと困ったような顔をして見ていた。
公開は時間制で、次の人たちが
やってきてしまう時間だったからだ。
いつまでもいつまでも見ていたい。
心から、そう思った。


この「四騎獅子狩文錦」は、
2002年、聖徳太子没後1380年という節目に、
現代の技術で復元された。

その復元を担った工房の責任者である
吉岡幸雄氏の書かれた文章によれば、錦には
縦糸で文様を織り出す経錦(たてにしき)と
横糸で織り出す緯錦(よこにしき)とが
あるらしいが、この四騎獅子狩文錦は
緯錦(よこにしき)であるという。
もともと中国では経錦が主流だったが、
ペルシャの影響を受けて
緯錦に変わっていったらしい。
吉岡氏の工房では、巨大な錦を織るために
機(はた)を作ることから始めたそうだ。
高さ4m、幅2m50㎝、長さ8mにも及ぶ
巨大な機織り機は、3人がかりで操作したらしい。
3人がかりで一日織っても1㎝しか織れず、
完成には一年近い歳月を要したという。

錦の地色は、ベニバナの真紅である。
四騎を囲む小さな円は、鮮やかな黄色。
その地色は藍の深い青。
すべて本物の四騎獅子狩文錦と同じ、
古代からある染料と技法で作られている。


四騎獅子狩文錦
 再現された四騎獅子狩文錦 (部分)

この鮮やかな錦は、当時の人々を
どれほど驚かせたことだろう。
そして、「日出る処の天子」という国書をもって
隋の皇帝にわが国の存在を認めさせることに
成功した全盛期の厩戸皇子は、人々から
どれだけの賞賛と憧憬を集めたことか。



‥‥青く澄み渡った斑鳩の空に、
真紅の旗がひるがえる。

「ああ、厩戸皇子さまが飛鳥へお出ましだ」

きらびやかな衣に身をつつみ、
隊列の中央を颯爽と行く若き皇子の姿に、
黄金色に実った稲穂を刈る手をとめて、
遠く熱い視線を投げた娘もいたはずだ。

その時彼女は、それから千年以上にわたって
連綿と続いていくことになる太子信仰の、
自分が最初の信者であることなど、
夢にも思わなかったに違いない。

(2014年9月25日)

古代史
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